おいとま教師の記録

休職中教師の記録

再び

 前回の続きです。

 殺人スケジュールをこなしていったが、5月の半ば頃から心と体の異変を感じるようになった。朝ごはんが食べられない。出勤中に吐き気がする。車からなかなか降りられない。仕事を全く捌けない。集中力がない。何も考えられない。教頭からは、少し仕事を調整しようと言ってもらい、午前中に空き時間がある水曜日は、遅めに出勤したり、時間短縮し、早めに帰ったりして働くことになった。

 しかし、そうして働き始めた最初の水曜日。遅めに出勤をしたものの、その日も車から降りられず、やっとの思いで職員室に入ったが、入るのが精一杯で教頭から「大丈夫?体調悪そうよ。」と声かけてもらったのが引き金になって涙が止まらなくなった。

 校長室に入って、校長と話すことになった。校長もこれまでしっかり話を聞いてくれており、私が無理をしない働き方を一緒に考えてくれていた。校長と話しながら、自分は治ったと思っていたことや何でこんな風になってしまったんだということを話した。子どもとの関係は良好。職場の仲間や管理職との関係も良好。みんな私のことを気にかけてくれ、私のことを認めてくれる。それなのに自分の心と体が追いついていないことへの不安やこんなはずじゃなかったという気持ちが大きくなっていったように思う。精神科の先生とも話し、5月末から6月末まで再び休むことになった。今回は校長も一緒に精神科の先生の話を聞いてもらえたことで、自分がどんな状況なのか知ってもらえたと思う。

 再び休み始めたが、前回ほどのダメージを受けている感じはなかった。少し休めばまた復活できると思っていた。不安材料があるとすれば、再び体調が悪くなった原因が当時の自分にはわかっていなかったということだろう。7月から復帰し、午前中のみの出勤をしたり、午後からキツくなったら帰ったりしながら時間を調整して何とか7月を乗り切った。

 夏休みに入ったら少し楽になるかなと思ったが、出張などが入りあまりゆっくりできなかった。8月の末になり、いよいよ学校が始まるという時になって、憂鬱な気分になったが、これはよく大型連休が終わる頃になって感じる憂鬱感と一緒だと思っていた。学校が始まって割とすぐに心身の不調を感じ、あまりよく覚えていないうちに働けなくなった。仕事を1日休み、次の週くらいから本格的に再休職に入った。

 そして、今回は、きちんと十分に休み、体調を万全にして復帰しようと決めた。

 続きは「解決の糸口」で。